【レビュー】紅茶スパイー英国人プラントハンター中国をゆくー

紅茶スパイ写真 レビュー

かなり間が空いてしまいましたが、先日「東京都庭園美術館の「キューガーデン 英国王室が愛した花々」の感想やらあれこれ」に関連付けて「【レビュー】茶の博物誌ー茶樹と喫茶についての考察ー」を書いています。

再びキューガーデンに関係のある書籍のご紹介をしたいと思います。

こちらも出版された当時にすかさず購入して読んだものの、そのまま書棚に眠っていた本です。(こんなのばっかり…)

イギリスが喉から手が出るほど欲しがった「茶」をプラントハンティングするため中国に派遣された「ロバート・フォーチュン」の物語です。

中国の国家機密であった「チャ」を持ち出そうと変装して旅をするスコットランド人ですので、命の危険を感じるようなシーンも多く、是非映像化していただきたいほど面白いストーリーになっています。

内容は是非読んでいただきたいので、筆者的ポイントを3点にまとめて書かせていただきます。

1,ロバート・フォーチュンと時代背景
2,フォーチュンが行った茶産地
3,ウォードの箱について

1,ロバート・フォーチュンと時代背景

フォーチュン
▼引用:Wikipedia
ロバート・フォーチュン(1812年~1880年)はスコットランドで生まれ、園芸家であり植物学者です。

本の中には「有閑階級出身ではないフォーチュンが中国探検役に選ばれたのは、巧妙な園芸協会の任務に彼が適していると思われたからだろう」と書かれており、かなり安い給料で雇われていたようです。

安い給料で園芸協会から一度中国に赴任させられた際はマラリアに罹ったり、海賊と命がけの戦いをしたと「中国北部での三年間放浪の旅」という著書の中で書いています。

中国という未知の地での冒険譚は大ヒットし、チャを欲していた「イギリス東インド会社」のプラントハンターとしてスカウトされ、再度中国へ。

その後も数回中国に訪れ、日本にもやってきています。

フォーチュンが中国に行っていた頃は、清がイギリスにアヘン戦争で負け、不平等な条約を結んだすぐ後から数年間に渡ります。

中国からヨーロッパに渡っていった緑茶や紅茶等が「東洋の薬」としてもてはやされ、愛飲されるようになり、「もっとたくさん」「もっと美味しいものを」と要求は高まります。

中国から茶を購入する以外に方法のなかったイギリスは、自国(植民地)でのチャの栽培を開始するためにフォーチュンのようなプラントハンターを送り込み、チャの種や苗、製法などを盗み出そうとします。

また同時期にイギリスはインドアッサム地方(当時自国領)で見つかった自生のチャを栽培、増殖を開始します。

チャがイギリスにとってどれほど大切なものだったか。
そしていかに中国が国を挙げてチャを守ろうとしたか。

中国の国家秘密であるチャの栽培や製法を盗みに行くのですから厳しい旅になることは間違いない訳でして、命をかけた旅だったことは容易に想像ができます。
スコットランド人の彼が辮髪にして中国人の服を着ていたという話はにわかに信じがたいのですが…

フォーチュンは植物学者であり、プラントハンターですのでチャだけではなく他の多くの植物を祖国にもたらしています。(その数250種にも及ぶと言われています)

名声や金のため、というのもあったでしょうが、未知なる植物やチャについて知りたいという欲望に突き動かされていなければ長くて辛い航海や旅はできなかったことでしょう。

以前ご紹介したキューガーデンの展示を思い返しながら、改めて読み進めました。
▼参照:東京都庭園美術館の「キューガーデン 英国王室が愛した花々」の感想やらあれこれ

2,フォーチュンが行った中国の茶産地

中国茶葉
「紅茶スパイ」の中でフォーチュンが行っている場所は浙江省と安徽省、その数年後に福建省の武夷山となっています。
その前の中国の旅でも緑茶の産地を訪ねているようです。
そちらは「中国北部での三年間放浪の旅」という著書に書いてあるそうですが、訳本はないため原文を読まないと詳細不明…。

お茶に詳しい方ならお分かりになるかと思いますが、浙江省と安徽省は当時緑茶で、福建省武夷山は紅茶や烏龍茶で有名でした。

最初は緑茶の生産地に赴き、その後さらに険しい山々を越えて武夷山へと向かいます。

安徽省は現在、キームン(祁門)紅茶で有名ですが福建省の紅茶がヒットしたことにより紅茶を作りだしたと言われており、この時代は緑茶の産地であったかと思われます。

当時まだ緑茶と紅茶は違う木から育つと一般的には考えられていましたが、フォーチュンはすでに同じチャノキから育つことを認識しており、それについても調べていきます。

フォーチュンは最初の中国探検のとき、紅茶の生産で白られる茶畑に行けばリンネのいう紅茶のチャノキが見られると思っていたが、そこで目にしたのは緑茶の茶畑で見たチャノキと全く同じチャノキだった。その後フォーチュンは中国にいる間、数種類の茶葉を入手して徹底的に調べた結果、緑茶と紅茶に違いがあるとしたら、それは製法のみであると結論付けた。当時の植物学者は彼の説になかなか同意しようとせず、さらなる証拠を求めた。■P、94

そのため、緑茶の産地(安徽省)と紅茶の産地(福建省武夷山)へと足を運んでいます。

また長江(杭州?)の緑茶工場では指を真っ青にしている職人たちを見て、「プルシャンブルー(フェロシアン化鉄)」や「石膏(硫酸カルシウム二水塩)」などが茶に添加されていることを突き止めます。
毒物

なぜ混ぜるのかを聞くと、
「外国人は茶にプルシャンブルーと石膏を混ぜたものが好きらしい。茶がきれいに見えるからだ。それにプルシャンブルーも石膏も安いから、中国人は混ぜるのに反対しない。混ぜた茶はいつも高く売れる!(原文ママ)」
という回答が返ってきたため、これらの着色料をこっそり盗み、イギリスに送り、悪事をばらします。

ここでふと思い出したのが、以前にご紹介した記事でも少し触れた「茶の効能」についてです。

「茶の博物誌」を書いた医師のジョン・コークレイ・レットサムは様々な研究を行い、体に異常が現れるのは「茶に何かが添加されている」からではないかと仮定しています。

「茶の博物誌」は1772年出版
フォーチュンが茶への添加について初めて知るのは1848年

中国での偽装がいつから始まったかは分かりませんし、すべての茶園で行っていたかも不明ですが、「茶の博物誌」の頃から行われていたと考えても70年ほどは行われていたと考えられますね。

実際にコークレットは謎の症状で死んでいく患者を診ていますからこれらが原因であった可能性もあるはずです。

茶は薬として輸入されていたのに、大量に飲めば毒にもなり得たということです。オソロシヤ。
着色料添加の件は日本でも行われ、アメリカから拒絶される事態にもなっていますがそのことはまたどこかで…。

フォーチュンの功績の大きさをうかがわせるエピソードです。

3,ウォードの箱について

ウォードの箱
▼引用:Wikipedia

チャがインドやイギリス本土にももたらすことができたのは、プラントハンターたちの仕事はもちろんのこと、この「ウォードの箱」のおかげであったと言えるでしょう。

イギリスの医師であり植物学者であるナサニエル・バグショー・ウォード(1791年-1868年)が発見した植物運搬用の箱です。
今のテラリウムの原型と言われているこの箱について文中では、

ウォードは単純な自給自足のプロセスをつぶさに観察し、記録した。ガラス箱に日光が当たっているときは、植物は土から蒸発する水と空気中の二酸化炭素が結合するのを利用して光合成をする。夜になると、植物が放出した酸素が水蒸気となり、夜気で冷やされて凝縮し、水滴となってガラスの内側を伝って流れ落ち、こうしてガラス箱の中の水分はほぼ無期限に保たれ、その結果、植物の生命は事実上、永続する。(原文ママ)

と書かれています。

ウォードがこのことに気づいたというのもすごいのですが、ウォードの箱が作られるまでのプラントハンターたちの苦労を思うと泣けてきます。

現地で大事に育て、水も十分与えてから船に乗せて祈るような思いで本国からの連絡を待っていたことでしょう。

「紅茶スパイ」の中でも何度も種や苗を運ぶシーンが出てきます。

ウォードの箱を使ったにもかかわらず、人為的なミスで苗をダメにしてしまうシーンなどはフォーチュンになったような気持ちで悲しくなりました。(おおげさ?)

植物学の発展にとってウォードは大きな貢献をしているのですが、この箱のおかげでダージリンという一大産地が生まれたというところも非常に興味深いです。(インドやスリランカにもこうして苗や種が運ばれていったのでしょう)

結び

大きな歴史の流れ中でチャが中国から世界へ広がっていく様をとてもリアルに感じることができる良書です。

もっと説明を加えたい部分もありますし、これを読んでいるうちに様々な本にも興味が広がってしまったのでこれらはまたの機会にご紹介したいと思います。

中古で安く手に入りますし、図書館に置いてあるところもあるので是非読んでみてください。

コメント

  1. 面白かったです〜!
    是非『紅茶ハンター』、
    拝読したくなりました。
    ありがとうございます!

  2. すみません?
    紅茶スパイでしたね?

    • yukiyanagi より:

      龍騎士団茶舗様
      お読みいただきありがとうございます。
      最近は茶や陶磁器の輸出、茶の伝播などに非常に興味を持っておりまして、また何か面白そうな本等がありましたらご紹介させていただきます。
      今後ともどうぞよろしくお願い致します。

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