日本でも紅茶が作られている?-和紅茶の歴史やイベントなどについて-

むかーしむかし。
筆者が茶カフェを始めた頃から閉店するまで(閉店は数年前)、ある和紅茶を出していました。

閉店する直前まで‐それはたった数年前ですが‐紅茶についてそれほど興味のない方たちは「日本でも紅茶って作っているんですね」と仰いました。

逆に、紅茶に興味があり、和紅茶ブームが到来した十数年前(?)に早速飲んでいた方は「和紅茶は二度と飲みたくない」と仰います。

店を営業している間に当店の和紅茶を初めて飲んだ方たちは「すっきりしていて飲みやすい」「優しい味わいがする」(あくまでも当店で扱っていた和紅茶の印象)と仰り、後者の方たちは頑なに「和紅茶は飲みたくないんです」と言い続けておられた気がします。

地方都市の小さな茶カフェでしたから、東京等に比べると和紅茶を知らない割合はぐっと多かったとは考えられますが。

和紅茶について、少し筆者の思い(抑えめ)を含めてまとめてみたいと思います。



日本で紅茶が作られるようになった歴史

和紅茶、国産紅茶などと言われています。
いずれも【日本国内で作った紅茶】のことを指します。
煎茶なども合わせて、総称して【日本茶】と呼ばれることもありますが、【日本茶】という言葉から想像されるのは、いわゆる煎茶(抹茶)ではないかと思います。

煎茶も和紅茶も、実は明治期に生糸とともに輸出をされていました。
江戸幕府が崩壊して鎖国が終わり、明治政府は列強各国との貿易の中で「茶」が外貨獲得に非常に大切なものだと分かっていました。

1859年横浜が開港したその年に緑茶が180トン輸出されています。
ちなみに、2019年1月~5月に輸出された緑茶は約2400トン日本茶輸出促進協議会HPよりで、横浜開港した10年後にはおよそ6000トンの茶が輸出されていたというからすごいことです。

世界的にも、また輸出の最大相手国であるアメリカも緑茶より紅茶を求める声が大きくなっており、日本は早急に紅茶を増産しなければいけなくなりました。
※イギリスでの爆発的な紅茶ブームが少し遅れてアメリカにやってきたものと思われます。

1874年に明治政府は「紅茶製法書」を編纂し、各府県に配布して紅茶製造を奨励しました。
また、中国から二人の技術者を呼んで、九州四国の<ヤマチャ>を使って中国式の紅茶を作るように指導します。(ヤマチャ⇒山の中で自然に育っている茶木)

同時に、実際の海外の生産や製茶技術を学ぶため、「多田元吉(ただもときち)」を勧業寮に登用し、派遣させることに決めます。
彼は元々江戸の幕臣でしたが、明治維新後に駿河(今の静岡)で茶業(茶生産等)に尽力していました。
※勧業寮とは、内務省に設置された殖産興業を担当する部署のこと

1875年、彼はまず清国(今の中国)へ派遣され、茶の栽培法、紅茶の製法などを学び、製茶機械や茶の種を持って帰ります。

元吉は清国からの帰国後、すぐに今度はインドへ渡ります。
日本人で初めてダージリンやアッサムへ行き、製茶機械を模写し、茶の種を持って帰ってきたのが多田元吉です。




1877年に帰国。
帰国後、内藤新宿試験場や静岡県丸子に持ち帰った原木を植え、紅茶品種の栽培を行い、国産紅茶の普及のために丸子で増産した種や苗を持って、全国各地を回ります。
※内藤新宿試験場は現在の新宿御苑の場所にありました。

そして、最新の紅茶製造をインドで学んだ元吉は、失敗に終わっていた中国式紅茶ではなく、インドの製茶法を改めて高知県で作るよう指導に当たります。
他にも、静岡、三重、滋賀、福岡、熊本、大分、長崎、鹿児島等も周り、紅茶製造の指導を続けます。

1878年には政府が「紅茶製造伝習規則」を発令し、各産地に紅茶伝習所を設置しました。
その甲斐あって、1892年には150トンほどの紅茶が全国で生産されます。

しかし、日清戦争(1894-1895)や日露戦争(1904-1905)の間にインド、スリランカの台頭により、日本の紅茶の輸出は落ちますが、1929年の大恐慌の折にはインド、スリランカ等の茶業者が輸出制限を行ったため、日本の紅茶の需要が急増し40トン程度の年間輸出が数年で6000トンまで急激に伸びました。

第二次世界大戦が始まると、1945年には年間130トンほどに激減しますが、戦後には少しずつ復興し、1955年には8500トンほど生産の内、5000トンほどの紅茶を輸出しています。

しかし、1971年の紅茶輸入化に伴い、インドやスリランカの高品質で低価格の紅茶が急激に増え、日本の紅茶はほとんど壊滅状態となります。

緑茶の国内需要は伸び、栽培面積も広がっていましたが、缶飲料やペットボトル飲料の台頭により次第に伸び悩み、一番茶しか売れない時代となっていきます。
紅茶の製造に一番向いていると言われる二番茶を緑茶から紅茶に切り替える農家が増え、次第に各産地で地場の紅茶を作る方たちが増えていきました。

今では、紅茶用品種で、インドやスリランカや中国にも負けないような日本独自の紅茶があちこちで生まれています。

2019年、これから和紅茶に出会えるイベント

北の茶縁日和(9/6.7 札幌)終了

ジャパン・ティーフェスティバル2019(10/19.20 東京)終了

世界お茶まつり2019(11/7-11/10 静岡)終了
3年に一度の茶の祭典!「世界お茶まつり2019」に行ってきました。<概要編>
世界お茶まつり2019!<セミナー編①>「幻の極上セイロンティ~ゴールデンティップス&シルバーティップス~」
世界お茶まつり2019!<セミナー編②>「熟成を愉しむ 晩茶の未来を考える」
世界お茶まつり2019!<セミナー編③>「日本茶のビンテージを知る」
世界お茶まつり2019!<セミナー編④>「茶の品種から考える<これまでとこれからの日本茶>」

第15回地球にやさしい中国茶交流会(11/23.24 東京)

紅茶フェスティバルin尾張旭(11/24 名古屋)

第18回全国地紅茶サミットin愛知(12/8.9 豊橋)←8/29追記

日本茶AWARD2019

上記はかなり大きなイベントになりますが、和紅茶だけではなく、和烏龍茶等も販売されている方もいらっしゃいます。

生産者の声が聞ける、貴重なイベントです。

中にはグランプリを決めるものもあり、多くの方が好む和紅茶の傾向をつかむことが出来ますので、まずは賞を取ったものから飲んでみるのは非常におススメです。

他にもあちこちで和紅茶を作っている生産者が出店しているイベントや飲めるカフェ、雑貨屋などもありますので、気になる方は是非探して見てください。

ネットで購入できる和紅茶



「べにふうき」と検索すると、たくさん和紅茶が出てきます。
今、一番多く使われている和紅茶の品種はべにふうきではないかと思います。(筆者統計)

べにふうきは前述の多田元吉がインドから持ってきた種の中から選抜された品種(べにほまれ)を親に持っています。
日本育ちでインドの血を引いています。

実は日本には紅茶用の品種がいくつかあります。
品種の話はまた別の記事で書きたいと思います。まとまらないから。。

べにふうきはアレルギーに効く「メチル化カテキン」を多く含むということで有名になったこともあります。
ただし、紅茶にすると残念ながらメチル化カテキンの効果はなくなってしまうようです。

抗アレルギー効果を求めるならべにふうき緑茶をどうぞ。
※茶は薬ではありませんのでご了承ください

結び

筆者が紅茶にはまりだした20年ほど前は、和紅茶がそれほど浸透していなかったように思います。(もしかしたら知らなかっただけかも知れませんが…)

そして、非常に残念なことに二番茶が売れないからと、緑茶用品種(主にやぶきた)を緑茶用の機械で紅茶(のようなもの)を作っていた方が圧倒的に多かったと思います。

当時和紅茶和紅茶と言われるようになった時にその「はっきり言って適当に作った二番茶の紅茶」を飲んだ方たちは今でもトラウマを抱えている人が多いです。
それが冒頭の後者の方たちです。(二度と飲みたくないという言う方たち)

青みがかっていて、渋みではないえぐみがあり、飲むと胃が痛くなるようなものがたくさん世に出回っていたのです。

筆者も一時期は警戒しながら飲んでいましたが、ここ数年はコンテストやグランプリが行われるようになったこともあってか、非常にレベルの高い和紅茶も増えています。

人件費等を考え合わせると、正直まだまだレベルの割には価格の高いものが多いですが、和紅茶の未来は明るいと感じられるものが次々に出てきています。

美味しい和紅茶を作っている生産者の方の商品は毎年少しずつでも購入するようにしています。
これからもずっと美味しい和紅茶を作っていっていただきたいから。

筆者のような一般消費者にできる、唯一の応援です。

和紅茶に興味を持っていただいた方はまずはどこかで購入して飲んでみてください。
そして、それが口に合わなかったとしたら、くじけずに他のものも試してみてください。(SNS等で評判を聞いてみると、お茶好きさんは恐ろしいほどコメントしてくれます。笑)

そして、機会があればイベントに行って、生産者の想いを聞いてみてください。

きっと心が震えるほどの素敵な出会いがあるはずです。



入間市博物館ALITの「お茶の博物館」にて狭山茶について学ぶ

先日、入間市博物館ALITへ行ってきました。(2019/8)

ALITお茶大学】では「お茶」と「地域」をテーマに年間を通して様々な講座を行っており、生産地全体で「地元のお茶」を盛り上げています。
お茶好きな人はたまらない講座などもありますので、筆者も今後要チェックです。

▼場所はこちら

博物館ですので、小さなお子様も楽しめるような展示(こども科学室等)もあるのですが、いそいそと「お茶の博物館」へ。(とはいえ、一通り見ました。うっかり童心に帰りました。)



狭山茶の特徴



「色は静岡 香りは宇治よ 味は狭山でとどめさす」

なんとなーく、どこかーで聞いたことのあるこのフレーズ。

また、「狭山火入れ」という、いわゆる「火香」が強いのが狭山茶の特徴であると聞いたことがある方も多いかも知れません。

「狭山火入れ」について著名な生産家の方に伺ったところ、「昔はすべて焙炉の上で手で茶を作っており、当然乾燥機などはない。そのため、焙炉でしっかりと乾燥させることで自然と火香がついたものだと考えられる。」とのことでした。

強火で茶を焙じた場合ほうじ茶になりますが、「火香」はあのほうじ茶の香りの弱いものだと考えていただくと分かりやすいかと思います。
※香りの成分的に強弱があるだけなのかどうかはわからないですが…

一般の煎茶より少し高温で火入れ(焙炉乾燥)をすることにより、茶葉は若干白くなり、水色も少し黄金色になるようです。

また、狭山は茶の生産地としては少し寒い場所のため、葉が肉厚になり、蒸し時間を長くしなければ静岡や宇治のような形状に揉めなかったのかも知れません。
そのためか、形よりも味を重視して作られてきたという歴史があるとのことです。

狭山茶にはこっくりと甘味があり、味わい深い印象を筆者も受けます。



狭山茶の歴史

「狭山茶」の多くはこの博物館のある入間市で生産されています。
しかしながら具体的にいつ頃から茶の生産が始まったのかは歴史上はっきりとしていません。

南北朝時代(1337-1392)の「異性庭訓往来」(往復の手紙形式で、寺子屋等で使われた初級の教科書)には、【武蔵川越(むさしのかわごえ)】と【武蔵ノ慈光茶(むさしのじこうちゃ)】という名が有名な茶生産地として登場します。

【武蔵川越(むさしのかわごえ)】は川越市小仙波町にあった「無量寿寺(むりょうじゅじ)」が発祥の地とされ、比叡山延暦寺から伝わったと言われているそうです。

一方、【武蔵ノ慈光茶(むさしのじこうちゃ)】はときがわ町にある天台宗の古刹「慈光寺(じこうじ)」が発祥の地とされています。
※栄西の弟子の栄朝が鎌倉時代の慈光寺の住職だったため、抹茶の製法が伝来したのではないかと言われているそうです。

しかし、どちらも関東の天台宗の大寺院であったため、戦国時代には後北条氏(小田原北条氏)によって焼き討ちされてしまいます。
茶を生産していた有力寺院が無くなったことにより、「川越茶」と「慈光茶」のブランドもここで消えていくこととなります。

しばらく狭山茶は途絶えますが、江戸時代後期に宇治の蒸し製煎茶の高まりから、狭山も蒸し製煎茶の製法を習得した者たちにより、狭山茶が復興します。

幕末には横浜が開港し、狭山茶も横浜からアメリカ(北米)へと輸出されます。
有力な茶業者により、「狭山会社」が作られ、アメリカへの直輸出等も行っていったようです。

茶業組合や茶業伝習所があちこちに作られ、その後は機械製茶も始まり、昭和3年には埼玉県の茶業研究所も開設されます。

第二次世界大戦中からしばらくは再度荒廃してしまいますが、割と早くに復興を遂げ、昭和30年~40年代には大きく生産量を伸ばしていきました。

 


埼玉県公式HPより引用

結び

筆者は狭山茶はもっと大きな生産地だと思っていました。
統計を見ると、栽培面積も生産量も思ったよりは多くないんですよねー。

単純に狭山茶にゆかりのある知り合いが多いのか、著名な生産者の方のネームバリューなのか…。

狭山茶は「自園・自製・自販」が主流だそうです。
例えば静岡や鹿児島等の大きな産地では茶の生産、加工、流通が分散化されており、消費者の手に渡るまでは時間も労力もかかります。(中間マージンも発生)

つまり、小さな生産者でも自ら茶を作り、販売することで高い利益を得ることが出来ます。(出来る可能性がある)
これは狭山茶の大きな特徴であると考えられます。

また、埼玉県全体で狭山茶を押している空気はひしひしと感じますし、ALITお茶大学のニュースも全国版で見たような気がします。(うろ覚え…)

昔縁あって入間市に数年間通っていた筆者としては、狭山茶の増々の飛躍を楽しみにしています。

それほど大きな茶の展示ではないですが、トップ画像のような「製茶仕入帳」という素晴らしい展示があったり(中は見られないので残念…)、昔の焙炉が展示されており、茶室があったり、かなり楽しめました。↓

また、受付でお願いすれば、茶に詳しい方が解説をしてくださるサービスもあるそうですので、是非ご利用ください。



狭山茶と製茶機械発明家 高林謙三展(令和元年7/27~8/4)

先日「狭山茶と製茶機械発明家 高林謙三展」へ行ってきました。

高林謙三、をご存知でしょうか?
ご存知だという方はかなり日本茶に詳しいはずです。マニア…?
筆者は数年前に某インストラクターの勉強をしていた時に初めて知りました。。

現在の日本茶が大量生産ができるようになったのは間違いなく彼の功績です。
展示の写真とともに、高林謙三の歴史や功績を追ってみたいと思います。

高林謙三という人について





1832年武蔵国高麗郡平沢村(現在の埼玉県日高市)生まれ。
日本の古医学を学び、医者として開業。

欧米諸国と通商条約を結んだ日本の輸出品は生糸と茶であり、茶の生産量を増やすことが急務だと考えた謙三は川越に土地を買い、開墾して茶園経営を始めます。

しかし、従来の手揉製茶法では一日に作れる茶の量は限られるため、製茶機械の開発に取り組み始め、医者として蓄えた財産を製茶機械開発に投じていきます。

試行錯誤の末に1884年(明治17年)に「焙茶器」が完成。
翌年には「生葉蒸し器」と「製茶摩擦器械」も完成。
特許も取得しましたが、止むことなく次々と新しい機械を世に生み出していきます。
1886年(明治19年)には「茶葉揉捻機」でも特許を取ります。

謙三は「自立軒製茶機械」という、蒸しから乾燥までを一括で行う、つまり製茶機のオートメーション化を目指していました。
その開発のために医者を辞め、命を懸けて取り組みます。
しかし、完成したと思われた「自立軒製茶機械」は失敗に終わります。

その後も諦めずに製茶機の開発を続け、1897年(明治30年)に「茶葉揉乾機」を完成。(現在の粗揉機)

現在の製茶機の基礎を作った人として歴史に名を残します。
謙三の作った製茶機はいまだに「高林式製茶機」と呼ばれています。

参照:お茶街道文化会

「狭山茶と製茶機械発明家 高林謙三展」について

★日時:令和元年7月27日(土)~8月4日(日)
★場所:高麗神社 参集殿2階 大広間
★開催時間:9:00~16:00(入場無料)
※トークセッションが7/28、8/4に行われていましたが、筆者は参加できず…


↑こちらが高麗神社


↑「蒸す」道具の変遷
現在も正式な手揉茶は、丸蒸籠のような「まんとう」というもので生葉を蒸しています。(まだ実際には見たことないのですが…。)


↑茶葉蒸熱機(通称、青葉蒸機)


↑生葉蒸器械複製
1884年(明治17年)特許第2号
丸蒸籠より蒸しムラがなく、大量に生葉を蒸すことが出来るとのこと。

こちらの「高林式粗揉機」の中を見ると、今の粗揉機と全く同じであることが分かります。

小さいですが、「旅の思い出2019年5月‐京都府茶業研究所②(製茶機械)‐」にミニチュア製茶機の写真を載せていますので、よろしければ見比べてみてください。



結び

何が彼をこんなにも駆り立てていたのか考えていました。

財を捨て、命を懸けて、死の間際まで製茶機械を作り続けた彼は日本茶のどんな未来を描いていたのでしょうか。
今は彼の思い描いた未来になっているのでしょうか。

実は筆者、製茶機械を先に見るよりも手揉茶を体験しました。

手揉み茶体験の初回、先生に「この手の動きすべてが今の製茶機械の元になっている」ということを聞き、しばらくしてから実際に製茶機械を見る機会に恵まれました。

手で葉を揉みながら製茶機の動きを想像すると確かに同じで、感動したことを改めてい出します。

本で名前と功績だけは知っていたものの、実際に謙三の生き様等は知りませんでしたので、今回非常に勉強になりました。

▼手揉み茶の記事はこちら

ちなみに、「色は静岡 香りは宇治よ 味は狭山でとどめさす」とよく聞くフレーズがあります。
狭山茶は火入れが強く、甘いお茶ということなのですが、筆者はまだ「これがとどめをさす狭山茶か!!!」というお茶は飲んだことがありません。

これから探してみたいと思います。
↓こんなお茶???

旅の思い出2019年4月‐第28回さぬき二ノ宮ふる里まつり(香川県)‐





色々飛び飛びのブログです。。
5月の茶旅の続きから少し遡り、非常に心に残ったとあるイベントのこと。

今回の4、5月の旅では丁度新茶シーズンということもあり、2つのお茶のイベントに参加できました。

一つは宇治新茶 八十八夜茶摘みの集い(2019/05/02)。
もう一つが今回ご紹介する「第28回 第28回さぬき二ノ宮ふる里まつり」(2019/04/29)です。
▼「宇治新茶 八十八夜茶摘みの集い」(2019/05/02)関連記事:

ほんわかした高瀬茶のイベントについて、(いつも以上に)軽めにまとめます。

第28回さぬき二ノ宮ふる里まつり(香川県)について

場所はこちら。

高瀬茶業組合周辺では茶摘み体験、茶畑ろ~どウォークが行われ、二ノ宮小学校の入り口ではうどんや筍のてんぷら等の販売。
グラウンドではライブや手揉み茶実演、バザー販売等盛りだくさん。

★日時★
平成31年4月29日(月・祝)
午前9時~午後3時(小雨決行)

当然、茶メインでの参加の我々。(いえ、うどんは食べまして、非常に美味しかったですけれども。)

まずは朝一で茶摘みを。

こちらはやぶきたの畑のようです。
他の品種を育てているところもあると聞きました。(めいりょく、べにふうき等)

新芽が元気いっぱいで、力を入れなくてもぽきぽきと自然に折れてくれます。
旅の途中ですので、ほんの少しだけ摘んで終わりにしました。

ちなみに、いくら摘んでも100円!!!
年配のおじさまとおばさまが鬼のように摘んで、袋にたっぷり入れて持ち帰ったのを見逃しませんでした。業者の人?!っていうレベルの摘み具合…。

胸に残る「茶畑ろ~どウォーク」





茶摘みから二ノ宮小学校へ向かう途中、当然「高瀬茶業組合」で新茶を購入。
二ノ宮小学校で、うどんと筍ごはんとてんぷらをモリモリ食べて、グラウンドを見て回り、その後「茶畑ろ~どウォーク」へ。

「茶畑の中を歩きながら、スタンプラリーをし、豪華賞品をもらおう!」というような内容。(少々適当)

茶畑の中を歩けるなんて、最高!とカメラのレンズ調整をしながら、いざ出陣。

ん?

あれ??

筆者の知っている茶畑とはどうも様子が…。(;^_^A

ジャングル…???!!!

細かいことは存じ上げませんが、放棄茶園らしき、手入れしていない茶畑があちらこちらに…。

茶は通常機械で摘み取ることが多いので、あまり伸びてしまわないように刈り揃えるのですが、刈ることすらされずに自然と上に伸びています。(しかも元気いっぱい)

とはいえ、茶好きな人間としては、こういうところを近くで見られるのも面白い訳でして、写真を撮りまくりました。

小さな新芽が必死で生きています。

人間の手が加わっていないため、あちらこちらから新芽を伸ばそうとしています。

野性味あふれる茶の木…!!!
素敵だ…!!!←変態(たち)

歩みを進めていくと、少し小高い丘へ。


※写真はいつか直します…。どうしても横になる…。

こちらはおばあちゃま一人で「茶」と見えるように茶の木を植えて、管理をしているそうです。

映える!!!(興奮)

この「茶」が見える場所にスタンプラリーポイントがあり、ハンコを押してもらうのですが、そこにいたおばちゃまが近くで柑橘類の栽培をしているそうで、なんと無料でふるまっていました。(おばちゃんは「売る」って言っていたけど、それは多分「あげる」が正しいよ…?)

丁度無くなっていたのですが、旅の途中なので「ま、いいか」とおばちゃんとお別れ。

さらに道を進んでいくと、

あ、茶畑らしくなってきた!!!

そうそう、筆者の知っている茶畑はこういうやつ!!!

…いや、もしかしたら多くの人が茶畑と思っている茶畑は、本当の茶畑ではないのかもしれない…とかいろいろなことを考えながら、ぼちぼちと歩いていると、先ほどのおばちゃんが軽トラで登場。

袋一杯のいよかん?やら金柑やら(しかも枝ごとw)を袋に入れて、「持っていきなー」と追いかけてくれました!

わーーーー!!!!
すげーーーーー!!!
おばちゃん、ありがとう!!!!

とテンションは上がったものの、現在6キロの道のりの半分ほど。
恐らく5キロ以上はあるであろう大量の柑橘類入りの袋…。

それを持たされた方の「思いが重い…」という名言をここに記しておきます。

その後は整備された茶畑を離れ、神社を通過し、果てしなく続く道路を汗だくで歩いていると、神社のスタンプラリーポイントにいたおじさんが再び軽トラで登場。

「もうスタンプラリー終わったから、これあげるわー」

と、参加賞のペットボトル入り茶やお菓子を下さいました。
っていうか、終わったんだ…w

わーーーーーー!!!
おじちゃん、ありがとうーーーー!!!!

「思いがさらに重くなった…」という名言②とともに、まだまだ続く道のりをひたすらに歩き、二ノ宮小学校に戻ったのでした。



結び

地元の美味しいうどんや、筍と地元の方たちの優しさに触れて、非常に心温まる楽しいイベントでした。

元々は茶を手で摘んでいたのだから、きっと放棄茶園のように上に伸びる茶の木から新芽を摘んでいて、そこから管理しやすく腰くらいの高さに刈り揃えるということをするようになったのでしょうし、「茶畑ろ~どウォーク」では茶栽培の進化を見せてくれたような気がしています。(意図しているのかどうかは知りませんが…)

また、この温かい土地での茶の栽培も下火になってきているのではないかと心配になったり…。

 

何より素晴らしいと感じたのは、地元の方たちがとても楽しそうにイベントを行っており、老若男女問わず多くの方が集まってきていたこと。

綺麗で美しい茶畑ばかりではないけれど、「茶」が生活に自然な形で取り込まれているのを見たこと。

仕事柄、日々都会的でちょっと尖ったお茶ばかりを好んで飲んでしまいますが、この素朴で温もりのある高瀬のお茶を飲んだ時、心から「ほっ」としたのを今でも忘れません。

こういう「茶」もいいなぁと心から思ったのでした。

本当に楽しいイベントでした。
是非来年も参加したいです!

台茶24号誕生!台湾生まれ台湾育ちの新品種?!




中華民国(台湾)の行政院に属している、行政農業委員会(日本の農林水産省にあたる)茶業改良所が2019/8/6に新品種台茶24号が発見されたというニュースをアップしています。
日本の茶業試験場、茶業研究所と同じイメージですが違っていたらどなたか教えてください。

台湾の茶業界では「タイワンマス(中華民国指定国宝魚)」ほど希少な在来種が発見され、19年間育種をしてきたものだそうです。
原木は氷河期時代にあったものだとのこと。

マッシュルーム、アーモンド、珈琲のような独特な香りを有しているそうです。

台茶24号って何?

台湾の茶の品種には通し番号がついています。
台茶1号、2号、3号…今回の台茶24号。

筆者が個人的に馴染み深いのは「台茶18号」です。
通称、「紅玉」と言われる、紅茶用品種です。
※りんごではありません

初めて≪台湾の紅茶≫と聞いて飲んだのがこの「紅玉」で、スリランカのウバのようなサリチル酸メチル(スーッとした薄荷のような香り)を感じ、強く印象に残っていました。

紅茶を例に出したので、日本の紅茶品種で見てみますと「べにふうき」という品種があります。

「べにふうき」は<べにほまれ>と<枕cd86>を親に持ち、鹿児島県枕崎の茶業試験場で
育てられました。
1993年には≪茶農林44号≫として品種登録がされています。
ちなみに、農林水産省の品種登録ホームページにていつ登録されたのか等が検索できます。



そもそも育種って何?

そうそう、そもそも育種って何?という方もいらっしゃるかと思います。
筆者もよくわかっていませんでした。(今も細かいところは分かりません。やったことないから)

かなり前に試験場に話を伺いに行った際、お話を伺ったことがあります。

“チャノキ”(学名カメリア・シネンシス)は自家受粉しません。(他花受粉)
つまり、花が咲いて、自分のおしべとめしべで受粉しないのです。

そのため、茶業試験場で茶の花が咲くと、育種したい品種の花粉を取り、違う品種に受粉させます。
そして、他の花粉が混じらないように花に袋を被せ、実が成るのを待つそうです。

結実しないこともあり、結実したものを土に植えても発芽しないものもあり…。
さらに、発芽して数年経っても枯れたり、うまく育って新芽を取って茶を作っても病害虫に弱く品種として登録できなかったり…。

さらに言うと、ある程度病害虫に強いとか耐寒性があるとか、新品種として特徴があるものは、農家さんに里子に出され、実際その土地でどのように育つのかを調べます。

よって、たった一つの品種が生まれるのにも十数年かかるということでした。
話を伺っているだけでも途方に暮れました…。
研究員一人が一つの品種を生み出すだけでも奇跡に近いんじゃ…?

品種って簡単に言うけど、ものすごいたくさんの方のたくさんの貴重な時間が費やされて生まれているのだと思うと堪らなく愛おしく思えます。

と。
ちょっと余談が過ぎました。。

今回の台茶24号は原木が氷河期のもの、とのことですので種が見つかったのでしょうかね?
それを茶業改良所で大切に大切に育てて、挿し木で増やして…とやったのではないかと勝手に推察します。(違ったらごめんなさい)

【追記】
中央通訊社の記事に記載がありました。
氷河期の遺存種で、「台茶」シリーズの中で初めての在来種の山茶となるそうです。(2019/8/8)

結び

台茶24号の≪マッシュルーム、アーモンド、珈琲≫の香りが、緑茶、烏龍茶、紅茶と作り分けた時にどのような変化を見せるのか、味はどうなのか、非常に気になります。

台茶23号もデビューしたばかり。
※こちらは紅茶用品種とのこと。

日本の新しい品種も全く飲めていないっていうのに、世界中でどんどん新しいお茶が出てくるから大変です。←
公益社団法人静岡県茶業会議所では【新版 茶の品種】が2019年3月に刊行されておりますが、購入したもののあまり見ていないっていう…。
【新版 茶の品種】を購入したい方はこちら

チャノキに限らず、お米や野菜なども美味しいものや珍しいものが年々増えていくのは、農業試験場(研究所)の方々のおかげですね。

農業(茶業)の奥深さを感じつつ、今後も新品種の動向を追っていきたいと思います。

参照:行政院農業委員会茶業改良所HP