明治時代に新宿で紅茶を作っていた?新宿御苑と内藤新宿試験場と紅茶の関係とは?

新宿御苑門 茶にまつわる旅


茶のあるところならどこへでも。
(仕事の都合で遠くはなかなか行けないけれど…)

以前から気になっていたものの、行こう!とならなかった場所へ行ってみました。

おまけに筆者は元新宿区民。(学生時代)
興味がないっていうのは罪なものです。。

和紅茶の歴史を調べている時に何度も登場する「内藤新宿試験場」。

明治政府が外貨を稼ぐために輸出を推進した生糸に続く産業といえば「茶」。
日本史の授業などで一度は聞いたことがあるかと思います。

当時日本の緑茶を買ってくれたのはほぼアメリカ。
紅茶の国イギリスは緑茶を好まず、紅茶を欲します。

紅茶栽培のため植民地を切り開き、紅茶を優位に得るため中国に戦争を仕掛け、紅茶(他にも様々ありますが)に重税をかけられたアメリカは独立をしていくことになります。
紅茶によって世界が動いた時代です。

多くの国が緑茶ではなく「紅茶」を望んでいるのだと知った内務省率いる大久保利通は紅茶製造を国の事業として推し進め、多田元吉らが中国インドに派遣されました。
▼参考:日本でも紅茶が作られている?-和紅茶(国産紅茶)の歴史やイベントなどについて-

内藤新宿試験場とは?新宿御苑との関係は?

新宿御苑の敷地は元々徳川家康が江戸城に入城した際、家臣であった内藤清成に付与した江戸屋敷の一部です。

内藤氏の7代目の頃に幕府にかなりの部分を返上したものの、明治5年にはまだ10万坪程度が残されていました。
新宿御苑は内藤家の9万5000坪あまりと、隣接地合わせた17万8000坪の土地に誕生しています。

明治5年、内藤氏から納められたこの敷地に近代農業振興を目的とする「内藤新宿試験場」を設置。
ここでは欧米の技術を取り入れ、品種の改良などが幅広く行われました。
その後内藤新宿試験場の機能は他に移し、明治12年には「新宿御苑」になります。

茶に関しても内藤新宿試験場をはじめとする各地に多田元吉が中国やインドから持ち帰った種を植えているようです。

参考にですが、新宿御苑の細かい歴史に関しては以下の本が詳しいです。(茶についての記載はほとんどないのですが)


この本の中では新宿御苑の責任者として活躍した福羽逸人の話が多く書かれています。(これもなかなか興味深い…!)

という訳で新宿御苑に内藤新宿試験場の痕跡を探しに行ってきた!

桜園地
写真は色々話題も多い「桜を見る会」が行われる桜園地です。
どうもこの辺りに紅茶製造所があったとかなかったとか…。(はっきりした資料見つからず)

新宿御苑の季節の見どころ情報によれば、「新宿門から管理事務所にむかう植込み、三角花壇近くでチャノキがみごろです。うつむき加減に咲く白い花は長いしべが特徴です。」とあります。

新宿御苑の「新宿御苑みどころマップ晩秋号」によれば、チャノキの場所が記載されています。