むかーしむかし。
筆者が茶カフェを始めた頃から閉店するまで、ある和紅茶(国産紅茶とも言いますがここでは和紅茶とします)を出していました。
閉店する直前(数年前)まで、紅茶になじみのない方は「日本でも紅茶を作っているんですね」と仰いました。
逆に、紅茶に興味があり、和紅茶ブームが到来した数十年前(?)に早速飲んでいた方の中には「和紅茶は二度と飲みたくない」という方もおられます。
店を営業している間に当店の和紅茶を初めて飲んだ方たちは「すっきりしていて飲みやすい」「優しい味わいがする」(あくまでも当店で扱っていた和紅茶の印象)と仰り、後者の方たちは頑なに「和紅茶は飲みたくないんです」と言い続けておられた気がします。
地方都市の小さな茶カフェでしたから、東京等に比べると和紅茶を知らない割合はぐっと多かったとは考えられますが。。
和紅茶について、少し筆者の考えを含めてまとめてみたいと思います。
日本で紅茶が作られるようになった歴史
日本で作られている紅茶を「和紅茶」、「国産紅茶」などと呼びます。
煎茶なども合わせて、総称して【日本茶】と呼ばれることもありますが、【日本茶】という言葉から想像されるのは、いわゆる煎茶(や抹茶)ではないかと思います。
煎茶も和紅茶も、実は明治期に生糸とともに輸出をされていました。
19世紀半ば、鎖国を続けていた日本に外国諸国が開国を勧め、ついに開国して江戸時代は終焉を迎えました。
その頃世界では「茶」が大きく関わった争いが各地で勃発していました。(アメリカ独立戦争、アヘン戦争)
1859年横浜が開港したその年には緑茶が180トン輸出されています。
▼参照記事:筆者おススメの本⑤ーグッドバイー
ちなみに、2019年1月~5月に輸出された緑茶は約2400トン(日本茶輸出促進協議会HPより)で、横浜開港した10年後にはおよそ6000トンの茶が輸出されていたというからすごいことです。
1874年に明治政府は「紅茶製法書」という紅茶製造の指南書を編纂し、各府県に配布して紅茶製造を奨励しました。
また、中国から二人の技術者を呼んで、九州四国の<ヤマチャ>を使って中国式の紅茶を作るように指導します。(ヤマチャ⇒山の中で自然に育っている茶木)
しかし「紅茶製法書」を参考に作られた紅茶は当時世界で求められていたものとは程遠かったようで、失敗に終わります。
そこで、実際の海外の生産や製茶技術を学ぶため、「多田元吉(ただもときち)」を勧業寮に登用し、派遣させることにしました。
彼は元々江戸の幕臣でしたが、明治維新後に駿河(今の静岡)で茶業(茶生産等)に尽力していました。
※勧業寮とは、内務省に設置された殖産興業を担当する部署のこと
1875年、彼はまず清国(今の中国)へ派遣され、帰国後すぐに今度はインドへ渡ります。
日本人で初めてダージリンやアッサムへ行き、製茶機械を模写し、茶の種を持って帰ってきたのが多田元吉です。
帰国後、内藤新宿試験場や静岡県丸子に持ち帰った原木を植え、紅茶品種の栽培を行い、国産紅茶の普及のために丸子で増産した種や苗を持って、全国各地を回ります。
※内藤新宿試験場は現在の新宿御苑の場所にありました。
そして、最新の紅茶製造をインドで学んだ元吉は、失敗に終わっていた中国式紅茶ではなく、インドの製茶法を改めて高知県で作るよう指導に当たります。
他にも、静岡、三重、滋賀、福岡、熊本、大分、長崎、鹿児島等も周り、紅茶製造の指導を続けます。
1878年には政府が「紅茶製造伝習規則」を発令し、各産地に紅茶伝習所を設置しました。
その甲斐あって、1892年には150トンほどの紅茶が全国で生産されます。
しかし、日清戦争(1894-1895)や日露戦争(1904-1905)の間のインド、スリランカの台頭により、日本の紅茶の輸出は落ちますが、1929年の大恐慌の折にはインド、スリランカ等の茶業者が輸出制限を行ったため、日本の紅茶の需要が急増し40トン程度の年間輸出が数年で6000トンまで急激に伸びました。
第二次世界大戦が始まり、終戦を迎える1945年には年間130トンほどに激減しますが、その後少しずつ復興し、1955年には8500トンほど生産のうち5000トンほどの紅茶を輸出しています。
しかし、1971年の紅茶輸入化に伴い、インドやスリランカの高品質で低価格の紅茶が急激に増え、日本の紅茶はほとんど壊滅状態となります。
逆に緑茶の国内需要は伸び、栽培面積も広がっていましたが、新しく登場した缶飲料やペットボトル飲料の台頭により次第に伸び悩み、次第に一番茶しか売れない時代となっていきます。
紅茶の製造に一番向いていると言われる二番茶を緑茶から紅茶に切り替える農家が増え、次第に各産地で地場の紅茶を作る方たちが増えていきました。
今では、緑茶用品種だけではなく紅茶用品種でインドやスリランカや中国にも負けないような日本独自の紅茶があちこちで生まれています。
2019年、これから和紅茶に出会えるイベント
▼北の茶縁日和(9/6.7 札幌)終了
▼ジャパン・ティーフェスティバル2019(10/19.20 東京)終了
▼世界お茶まつり2019(11/7-11/10 静岡)終了
⇒3年に一度の茶の祭典!「世界お茶まつり2019」に行ってきました。<概要編>
⇒世界お茶まつり2019!<セミナー編①>「幻の極上セイロンティ~ゴールデンティップス&シルバーティップス~」
⇒世界お茶まつり2019!<セミナー編②>「熟成を愉しむ 晩茶の未来を考える」
⇒世界お茶まつり2019!<セミナー編③>「日本茶のビンテージを知る」
⇒世界お茶まつり2019!<セミナー編④>「茶の品種から考える<これまでとこれからの日本茶>」
▼第15回地球にやさしい中国茶交流会(11/23.24 東京)終了
▼紅茶フェスティバルin尾張旭(11/24 名古屋)終了
▼第18回全国地紅茶サミットin愛知(12/8.9 豊橋)終了←8/29追記
▼日本茶AWARD2019 終了
上記はかなり大きなイベントになりますが、和紅茶だけではなく、和烏龍茶等も販売されている方もいらっしゃいます。
生産者の声が聞ける、貴重なイベントです。
中にはグランプリを決めるものもあり、多くの方が好む和紅茶の傾向をつかむことが出来ますので、まずは賞を取ったものから飲んでみるのが非常におススメです。
他にもあちこちで和紅茶を作っている生産者が出店しているイベントや飲めるカフェ、雑貨屋などもありますので、気になる方は是非探して見てください。
ネットで購入できる和紅茶
「べにふうき」と検索すると、たくさん和紅茶が出てきます。
今、一番多く使われている和紅茶の品種はべにふうきではないかと思われるほど多く生産されています。
べにふうきは前述の多田元吉がインドから持ってきた種の中から選抜された品種(べにほまれ)を親に持っています。
日本育ちでインドの血を引いており、紅茶に適した品種です。
作り手によっても製法によっても味わいがかなり異なりますため、一概に「べにふうき」紅茶が美味しい(美味しくない)とは言いにくいのが現状です。
しかし、飲んだことがない場合は是非一度お試しください。
また、日本には紅茶用の品種がいくつかあります。
品種の話はまた別の記事で書きたいと思います。まとまらないので。。
べにふうきはアレルギーに効く「メチル化カテキン」を多く含むということで大ブームがやってきたことがあります。
ただし、紅茶にすると残念ながらメチル化カテキンの効果はなくなってしまいます。
抗アレルギー効果を求めるならべにふうき緑茶をどうぞ。
※茶は薬ではありませんのでご了承ください
結び
筆者が紅茶にはまりだした20年ほど前は、和紅茶がそれほど浸透していなかったように思います。(もしかしたら知らなかっただけかも知れませんが…)
そして、非常に残念なことに二番茶が売れないからと、緑茶用品種(主にやぶきた)を緑茶用の機械で紅茶(のようなもの)を作っていた方が圧倒的に多かったと思います。
当時和紅茶和紅茶と言われるようになった時にその「はっきり言って適当に作った二番茶の紅茶」を飲んだ方たちは今でもトラウマを抱えている人が多いです。
それが冒頭の後者の方たちです。(二度と飲みたくないという言う方たち)
青みがかっていて、渋みではないえぐみがあり、飲むと胃が痛くなるようなものがたくさん世に出回っていたのです。
筆者も一時期は警戒しながら飲んでいましたが、ここ数年はコンテストやグランプリが行われるようになったこともあってか、非常にレベルの高い和紅茶が増えています。
全国の道の駅などで販売している多くの和紅茶も合わせて考えるとまだまだ平均値はそれほど高くないですが、生産者の方たちの努力によって見違えるほどレベルが上がっています。
和紅茶の未来は明るいと日々感じます。
筆者も一ファンとして、出来る限り様々な生産者のものを購入して勉強しています。
一般消費者としての筆者にできる、唯一の応援です。
和紅茶に興味を持っていただいた方はまずはどこかで購入して飲んでみてください。
そして、残念ながら口に合わなかったとしてもくじけずに様々なものを試してみてください。(SNS等で評判を聞いてみると、お茶好きさんは恐ろしいほどコメントしてくれます。笑)
そして、機会があればイベントに行って、生産者の想いを聞いてみてください。
きっと心が震えるほどの素敵な出会いがあるはずです。
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