筆者おススメの本⑨ー茶筅の旗ー

茶筅の旗 レビュー

最近本のレビューばかりですが、本ばかり読んでいるわけではありません。

本格的な茶のシーズンですので、いつものごとく週末は畑へ。

バタバタしているのは年中ですが、この時期は毎日頭もフル回転です。

気晴らしに本を読んでいるのかも知れませんし、そういう訳でもないような気もします。←ドウイウコト?

どうでも良い前置きはさておき、今回の本についてご紹介していきたいと思います。

茶筅の旗の概要

■タイトル:茶筅の旗
■著者:藤原緋沙子
■発行所:株式会社新潮社
■発行:2017年9月20日

京都・宇治。古田織部の覚えめでたい朝比奈家の一人娘・綸は父の跡を継ぎ、極上茶を仕立てる「御茶師」の修業に励んでいた。そこへ徳川・豊臣決戦近しの報が。大名と縁の深い御茶師たちも出陣を迫られる。茶園を守り、生き抜くにはどちら方につくべきか……茶園主たちの知られざる闘いを通して女の成長を描く劇的時代長篇。
▼引用:新潮社サイト

お茶好きな方たちならご存じの古田織部や小堀遠州などの有名人も登場し、また豊臣秀吉から徳川家康へ政権が変わっていく世の状況もさらりと盛り込まれていて歴史好きな方にも十分楽しめる内容かと思います。

筆者おススメポイント

①戦国時代の宇治の状況が分かる

綸の(義理の)祖母は朝比奈家(綸の家)に嫁いでから10年目に槇島城の戦いを見ていると語るシーンがあります。
そののち、関ケ原の戦いにも巻き込まれたとあります。
槇島城の戦いを存じ上げなかったので、BingAIチャットに聞いてみました。

宇治と槇島城の戦いは、元亀4年(1573年)7月に織田信長と室町幕府の将軍・足利義昭との間で行われた戦いです。
この戦いで義昭が敗れた結果、京都から追放され、室町幕府は事実上滅亡した³⁴。
槇島城は、宇治川・巨椋池水系の島地に築かれた南山城の要害であり、昭光の居城でした³。
義昭は真木島昭光を頼り、槇島城に籠城しましたが、信長は即座に入洛し、城を包囲して義昭を屈服させました⁴⁵。
ご参考までに。

ソース:
(1) 槇島城の戦い – Wikipedia.

(2) 槇島城 – Wikipedia.
(3) 槇島城|信長と足利義昭が戦った室町幕府終焉の城- お城 ….
(4) 槇島城 真木島昭光の居城を足利義昭が頼った歴史の舞台| お城 ….
(5) 上林春松本店の章 第一話 戦国の覇者、信長と上林家|綾鷹物語.

楽ですね。。
ソースまで貼っちゃえば、本当に便利。
ブログ書く意味とは…?(二回目)
関ケ原の戦いは知っていますし、小説の中では綸達も大坂の陣を体験します。
しかし、どちらかにつく訳ではなく、あくまでも宇治を守るための戦いとして描かれています。

そこから徳川政権に変わり、宇治茶師の格付けがされるようになって宇治茶師同士の争いが起こるようになるというのも非常にリアリティがあって面白いです。

②宇治の栽培方法について知ることができる

宇治茶の製法について、記述されている箇所がいくつかあります。
例えば、

京の町から、鴨川や桂川などを利用して舟で運ばれてきた屎尿の樽は、今度は宇治川を渡ってきて、宇治橋近辺の河岸に下ろされる。
すると人足たちは、屎尿の樽を車に積んで茶畑に運び、茶薗に撒くのである。
この作業は、茶の芽が出た頃に施す最終の「色付け屎肥(しひ)」まで年に七、八回にわたる。
労力も金もいる仕事だが、宇治の御茶が、その昔に天下一と称された栂尾の御茶にとって代わったのは、舟運の利用で得た屎尿のお陰である。
▼引用:茶筅の旗

南北朝時代に書かれた「異性庭訓往来」では栂尾高山寺が第一位の名産地とされていましたが、その後じわじわと宇治が追い上げてトップに並ぶようになります。

宇治が様々な努力をしてトップに君臨するようになったかについての詳細は以前もご紹介した「筆者おススメの本④ー茶道教養講座14 日本茶の歴史ー」をどうぞ。

橋本素子氏の「日本茶の歴史」(淡交社)にも宇治は覆下園を発明し、「江戸時代前期までには、下肥などの大量の肥料を使うようになっていたことが明らかになっている」と書かれています。
お茶を美味しくしようとする努力が生き生きと伝わってきます。

③茶の製法が垣間見える

手揉み
主人公の綸は(義)父が亡くなったあと、御茶師を継ぐのですが最初は作業場に入って失敗ばかりしてしまいます。

綸は、緊張の面持ちで、次は蒸し場に入った。
刹那、綸は蒸籠を持って小走りする若い女とぶつかりそうになった。
「あぶないじゃないか!」
綸は怒鳴られるが、次の瞬間、綸と気づいた若い女は、
「すんまへん」
ぺこりと頭を下げて、隣の部屋に掛け込んで行った。
▼引用:茶筅の旗

摘んできた茶葉を撰り子たちが選別し、酸化発酵しないうちにすぐに蒸し、それを冷まし、揉み、乾燥させるという様が、絵などで見るよりも情景が浮かびやすく、お茶作りの現場の空気感がうまく表現されています。

今の機械製茶とは違い、たくさんの人たちがお茶作りに関わっている様子もうかがえます。

もうずいぶん前のことですが、京都の茶道資料館で秋季展「新茶を祝うー製茶から口切の茶事までー」が開催された時の以下の記事には「製茶図」が一部ですが出ていますので参考にどうぞ。
▼参考:特別掲載! 製茶から口切、抹茶ができるまで「製茶図」絵巻を大公開

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ひとつ気になっていたのですが、「白茶」と「青茶」というものが出てきます。
白茶は蒸した茶(現在の碾茶に近い形)
青茶は茹でた茶
となっています。
どこかで聞いたことがあるのですが、このあたりの製法について今度もう少し調べてみたいと思っています。(自分への課題)
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結び

古田織部や小堀遠州、徳川家康なども登場しますのでどこまでが史実に基づくのかは分かりませんが、そのあたりの時代背景なんだなぁと読むと非常に頭に入りやすいです。

筆者は抹茶、宇治の歴史辺りはここ数年ちらちらと本を読む程度でして、もう少し頭の整理が必要ですが参考になりました。

他にも上林家などにも興味津々で本は一冊買ってあるのでまたこちらもご紹介できればと思います。

関係ないですが、日々チャットAIが着実に日常生活に浸透しつつあります。
筆者は自分の頭の整理のためのブログを書いていますので今後も活用しつつ共存していきたいと思っています。

結局生き残るのは人間性なのかもねぇ。
とか思ってみたり。

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