ようやく③です。
あと、暑いです。←
前回までの内容はこちら
▼参照:「茶の湯の歴史を問い直す」シンポジウムに参加して①
▼参照:「茶の湯の歴史を問い直す」シンポジウムに参加して②
今回のシンポジウムで実は筆者が一番ハッとさせられたのは後半だったりします。
第3講「考古学から茶の湯の場を復元する」
九州歴史資料館の遠藤啓介先生によるお話。
著名な福井県福井市の朝倉氏の一乗谷遺跡から考古学の強みを考え、五ケ山東小河内・網取遺跡から出土した複数の茶道具を見ていく。
一乗谷朝倉氏遺跡とは?
一乗谷は、福井市街の東南約10kmにあり、戦国大名朝倉氏の城下町の跡が、良い状態で埋まっていました。遺跡の発掘調査は、1967年から進められ、1971年には一乗谷城を含む278haが国の特別史跡に指定されました。また、1991年には諏訪館跡庭園(すわやかたあとていえん)、湯殿跡庭園(ゆどのあとていえん)、館跡庭園(やかたあとていえん)、南陽寺跡庭園(なんようじあとていえん)の四庭園が特別名勝に指定されました。さらに、2007年には遺跡出土品のうち、2,343点が重要文化財に指定されました。▼引用:一乗谷朝倉氏遺跡HP
第5代当主朝倉義景が住んだ館の跡には会所(かいしょ)、茶室(ちゃしつ)なども残されている。
湯殿(ゆどの)跡庭園は池泉庭園で一乗谷で一番古い庭園となっている。
石組みなどから京都との交流が色濃くうかがえるそうだ。
(動画もあったので貼っておく)
上記写真のように茶碗だけではなく、茶杓や茶入などの喫茶具が出土している。
このように茶道具セットでの出土は非常に珍しい。
天目だけが出土されている場合は「喫茶をしていた」とは言い切れないが、他の道具が出土されているこの一乗谷遺跡では喫茶をしていたと言える。
こういった喫茶具のセットから考えて、九州でも喫茶の歴史が調べられないかということで見つかったのが以下紹介する福岡県那珂川市五ケ山東小河内・網取遺跡になる。
福岡県那珂川市五ケ山東小河内・網取遺跡から考える
福岡佐賀の県境にあたる。
◆背振山という栄西と所縁のある場所に近いこと
◆江戸時代に五ケ山茶という茶が生産されていたこと
以上から茶と関係のある場所であると考えられる。
遺構や遺物についても良好で、茶碗や茶臼、茶釜などのセットが出土しており「喫茶をしていた可能性が高い」と判断。
五ケ山東小河内は13世紀後半~16世紀にかけての遺跡で、Ⅱ期に分けられる。
Ⅰ期➡13世紀~14世紀
Ⅱ期➡15世紀~16世紀
巨石が多くあり、巨石祭祀が考えられ、巨石祭祀と茶の関係も見えてくる。
この遺跡は香炉、仏像などの出土物が出てきており、「寺院」「坊跡」などと推測される。
喫茶関連の出土品としては龍泉窯青磁碗や土製の茶釜、火舎(火をおこすもの)、茶臼などがある。
13世紀後半から16世紀にかけて喫茶文化が続いていると考えられる。
網取遺跡は15世紀~16世紀を中心として17世紀にかけての集落跡。
調査区1区~7区までに分かれており、特に7区では多量の土器の茶釜、茶臼などの破片が出土している。(2,3個が普通のところが50個以上出土している)
東小河内遺跡と同様龍泉窯青磁碗が主だが、朝鮮王朝産の白磁、中国景徳鎮窯なども見られる。
17世紀前半は唐津や初期伊万里なども出土。
3講結び
青磁が常用されている。
那珂川を下っていくと、貿易の博多と直結しているから?
天目はほぼ出土していない。
また、天目が一点出土しただけでは喫茶をしていたとはいいがたい。
茶釜や茶臼のようなものとのセットで検証しなければ意味がない。
今後も喫茶具のセットを見るところから、考古学の視点で喫茶文化を考えていきたい。
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ようやく3講。
次回4講でシンポジウムは終了になります。
早くまとめておきたいところです…!(筆者の記憶があるうちに!)
ほらほら、そろそろ本が読みたくなってきましたよね?ね??←強要
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