挽茶・碾茶(ひきちゃ)を使ったお菓子が明治時代にあった?抹茶アイスクリームは現代だけのものではなかった?!

抹茶アイスクリーム 茶に関係ある食べ物

最近訳あって過去のお茶の歴史などをちょこちょこ調べています。

その中から筆者が個人的に気になった明治時代に散見される「挽茶の菓子」について少しご紹介したいと思います。

筆者が調べ事をしていた時に見つけただけですので、筆者の備忘録的な情報ですが今後追記していきたいと思っています。

明治時代の挽茶アイスクリーム??

挽茶とは?

まず、挽茶、という言葉が聞きなれない方も多いと思いますので説明を。

ひき‐ちゃ【碾茶・挽茶】
〘名〙 上等の製茶を臼でひいて粉末にしたもの。主として茶の湯に用いる。湯を注いでかきまぜて飲む。濃茶と薄茶とがある。散茶。抹茶。
※海人藻芥(1420)「挽茶節会とて於二内裏一被レ行二公事儀式一」
▼出典:精選版 日本国語大辞典

ひき‐ちゃ【引茶・行茶】
〘名〙
① 季の御読経(みどきょう)の時、その第二日目に僧に賜わった茶。《季・春》
※西宮記(969頃)五「召二内蔵寮生薑、折櫃、土器九百口一、召二典薬厚朴一為二引茶料一」
② =ひきちゃ(碾茶)
※大乗院寺社雑事記‐寛正七年(1466)正月八日「引茶持参之間、扇一本給レ之」
▼出典:精選版 日本国語大辞典

辞書では「碾茶=挽茶」どちらも<ひきちゃ>と読むようです。

<引茶>で検索しても同じように碾茶の意味が含まれているため、「碾茶=挽茶=引茶」という解釈で良いことにしておきたいと思います。

つまりは抹茶の原料になる、今で言う「碾茶」のこと。
碾茶

これを石臼で挽くと抹茶ができます。
▼参照:本物の抹茶(仮)と量が多くて価格の安い抹茶。違いはなに?(加筆修正あり)
▼参照:【実験】抹茶(?)を作ってみた2022~覆いから飲むまで~

アイスクリームはそもそもいつから日本にあるの?

アイスクリームの歴史は一般社団法人日本アイスクリーム協会のHPに記載がありました。

日本人とアイスクリームの出会いは江戸末期のこと。幕府が派遣した使節団が訪問先のアメリカで食べたのが最初で、そのおいしさに驚嘆したと言われています。そして明治2年(1869年)、日本で最初のアイスクリームが横浜で作られます。文明開化の波に乗り、日本のアイスクリームの歴史は始まったのです。

やはり西洋から入ってきたのですね。
納得。

ちなみにこちらの本に記載がありました。


こちらの本は江戸幕府が派遣した遣外使節団一行がどこでどんなものを食べて、どのような感想を言っていたかという記録をいくつか拾っています。

また、柳川によって「味ハ至てあまく、口中に入れるゝにたちまち解けて、誠に美味なり」(遣一・二六八)と表現されたフィラデルフィア船中のアイスクリームの印象もあざやかだ。

と書かれています。
※この詳細は上記でご紹介した一般社団法人日本アイスクリーム協会のHPにも書かれています。

サンフランシスコでの連日の西洋料理については「バターの香りが強くて、塩味しかない。(味噌とか醤油の深みがない、意訳)」と書かれていたり、旅の途中で食べた西瓜に「其味最美ニシテ、本朝の品ニ勝ル」「大にして、其味至って美なり」と書かれていたりします。

また、洋酒を飲んで狂喜乱舞している様など、西洋の飲食に触れた当時の日本人の様子がとても生き生きと描かれていて面白いです。

筆者が見た明治期の抹茶アイスクリーム

食道楽



村井弦斎という方が書いた明治時代の小説風料理本?があるのですが、こちらを読んでいた時に記載がありました。

「~この頃は碾茶(ひきちゃ)のアイスクリームもありますね」

◎本文にある碾茶の軽便アイスクリームは牛乳二合へ砂糖大匙四杯を入れて湯煎になしコルンスターチ大匙八分目を水に溶かして入れ能く煮て火より卸し冷めたる所にて碾茶小匙三杯を玉の出来ぬよう混ぜながら少しずつ徐(しず)かに加えて本文の如く器械にて寄せるなり。

この本の中で碾茶アイスクリームというのは何度か出てくるのですが、ご家庭で茶筒にクリームを入れて作る方法なども書かれています。
ちなみに他にも

「それが挽茶(ひきちゃ)の羊羹です。先ず長芋の煮たのを裏漉しにして塩と砂糖で味を付けて挽茶を入れてよく擦り混ぜたものを寒天の濾したので固めたのです」

と、抹茶アイスクリーム以外のお菓子も登場しています。
なかなか興味深い…!

実は…。
他の本でも見つけたので、ここにまとめて置こうと思ったのですが、失念してしまいまして。
またこの辺りは追記していきたいと思います。。←記憶力…

抹茶?碾茶?

ここでまたふと疑問が。

村井弦斎の食道楽が刊行されたのは1903年(M36)~1904年(M37)の頃。
今抹茶も碾茶も購入することができますが、どうやって販売されていたのでしょうか。
こちらはこのブログで何度もご紹介していますが、桑原 秀樹先生のHPより引用させていただきます。

(1)葉売りと挽売り
我が国の抹茶生産量の推移を考察する上で、碾茶の仕上げ歩留りをいくらに見るかということは非常に重要な問題です。なぜなら、碾茶の歩留りは、栽培方法、摘採方法、摘採期、販売方法(葉売り、挽き売り)によって大きく異なるからです。
昔は、碾茶を葉っぱの状態で消費者に売っていました。これを「葉売り」と言います。抹茶は、点てて飲む人が碾茶を購入し、自ら茶臼で挽いていたのです。栄西の時代から大正時代までの約700年間は「葉売り」の時代でした。「葉売り」から「挽売り」への移行期の出来事は、明治30年代半ば、店頭では五人ほどの年輩の女性がずらりと並んですわり、臼をまわして抹茶を挽いた。明治末期になって升屋は機械化に成功した。人力車の輪からヒントを得て、下からベルト回しで回転させる方式を発明し特許をとったものだった。これを39台設備し良質の挽茶を大量に製することができるようになった。<升半史話>

とあります。

食道楽が出た時代は明治30年代半ばですので、「葉売り」から「挽き売り」への移行期であると考えられます。

上述した中で「碾茶(ひきちゃ)のアイスクリーム」「挽茶(ひきちゃ)の羊羹」と使い分けているのはもしかしたら抹茶の状態と碾茶の状態で使い分けているのかも知れないですね。
こちらも何か今後資料があれば追記していきたいと思います。

桑原先生の本はこちら。

結び

抹茶アイスクリームを今更Wikipediaで見てみたところ、「明治初期の晩餐会のメニューにあった」と記載がありビックリしています。

これはもっと調べないといけません…。
もし有力情報ありましたら是非お寄せください。

筆者は研究者ではないただのお茶好きのため、資料を調べるのにも相当な時間がかかる上、リサーチ力が低すぎて大変です。

おまけに、お茶に関係する言葉などがあるとすぐに反応するため(これはお茶関連の英語の記事の場合だけ読めるのも一緒)、頭もあちゃこちゃ行ってしまって全く進みません。。
今回の記事も脱線の結果です。元々は違うことを調べてた…

一昨年辺りから時間がある時に少しずつ茶の歴史に触れるようになり、そもそも日本の歴史や世界の歴史について知らない自分に驚愕したりしています。

YouTubeなどから歴史の流れを耳に入れるところからやってます。←相当な初心者
受験の時日本史専攻だったんですが…?

抹茶アイスクリームの記述を見てから派生してアイスクリームの歴史やら、そもそも酪農も明治時代に入ってからのことですのでその辺りのことも興味が出てきています。

4月辺りからは茶業本番ですので、冬の間にできるだけ前進しようとしています。
ただの足掻きですが。。

まぁ、仕方ないのでコツコツ自分の能力の中でできることからやるようにしています。
それでも学ぶことは楽しい。

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元旦に発生した「令和6年能登半島地震」。
今もまだ状況は見えぬまま、垣間見る映像などから被害の大きさは相当甚大なものだと考えられます。
少額の募金くらいしか筆者にはできることはありませんが、どうぞ皆様お体第一で。

いつか温かいお茶を飲んでいただける日を、一刻も早い復旧を心より願います。

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