新型コロナウイルスのため、茶処へ行くことを阻まれております。
筆者は茶が好きすぎて、とうとう兼業茶農家になっていますが、やはり本来はただの茶好きです。
というか今も変わらずただの茶好きです。
茶を好きすぎるので、人に茶の良さを伝えたいし、こんな誰も見ないようなマニアックな内容の記事を書いています。(備忘録を兼ねて)
とはいえ、以前もどこかに書きましたが茶栽培が難しい土地で長年お茶カフェを営んでいたため、実際に茶(栽培や製造されているところ)との付き合いは他の方より浅いです。
勉強のため、本来であれば新茶の時期もご迷惑をお掛けしないように茶畑や製茶工場に足を運びたいところです。(自分のところはどうすんの???ってなりますが)
まぁ、それは置いておいて。
とある春の日、茶縁で知り合うことができたYさんに都内某所で茶摘みをしないかと誘われました。
都内某所で茶摘み???
世田谷区といえば、お金持ちが住んでいる高級住宅街なイメージです。
「そんなところにお茶の木なんてあるの???」
という思う方は少なくないと思います。
筆者もYさんと知り合うまでそう思っていました。
調べてみると世田谷区には昔茶を育てていたところがいくつかあり、明治期には輸出もされていたそうです。
安政6年(1859年)の横浜開港から、生糸と茶の輸出量が伸び続け、世田谷区などの東京周辺部でも茶を植え、茶作りが行われるようになります。
明治3年には旧代田村(現在の世田谷区代田)で世田谷の製茶業が開始されます。
▼参考:あるじでえ No.43
また、丁度同じくらいの頃に(輸出と関係あるかは不明)は農家の垣根として茶を植えて(茶垣)、1年飲む分がまかなえるくらいの茶を作っていたそうです。
そちらは江戸時代後期から明治にかけて世田谷にあった農村風景を再現している「次大夫堀公園(じだゆうぼりこうえん)」にも見ることができます。(筆者はまだ行ったことがないので今度足を運んでみようと思います。)
ちなみに、以前ご紹介した「茶柱倶楽部」という漫画にも代田の茶のことがちらりと出てきます。
掲載されている場所はあえて言いません。
是非探してみてくださいね。
▼参照記事:筆者お勧めの本②ー茶柱倶楽部ー
▼参照記事:筆者おススメの本⑤ーグッドバイー
筆者の周辺でも年配者の話では世田谷区同様に茶垣があり、蒸し製緑茶や釜炒り茶などを作っていたと耳にします。
また、筆者のところの茶畑がある辺りの農家の生垣にも茶が使用されているところが多数あります。
これらの話は、ほんの130年ほど前まで当たり前のように生活の中に茶があったのだと感じさせられる内容です。
YさんとOさんと世田谷の茶の関係
筆者の家族を通じて知り合ったYさん。
実はYさん、お茶摘み、お茶作りのベテランだったのです…!
元々は某公立小学校の保護者有志活動で学校に通っていたそうなのですが、学校創立50周年記念に正門前に植えられた茶の木から新芽を摘み、茶を作ってみたりしたのが最初だったそうです。
その後正門の茶の木に興味を持った先生たちも巻き込んで授業の一環に。
2009年から毎年3年生の総合の授業でたくさんの子供たちが茶と親しみ、父母やOさんも招いて作った茶を振る舞うこともあったそうです。
正門のお茶の木だけでは子供たちが摘採するには量が少なすぎることから、近くのOさん宅の生垣にあった茶の芽を摘ませてもらうお願いをし、毎年そこでお茶摘みをすることになったとのこと。
この話は当時「婦人の友」に掲載されたそうです。
トップ画像がそのOさんの茶垣です。
こちらも☟(右側がOさんのお宅)
あまりにさりげなくそこに存在しているので、茶の木かどうかすらわからないかも知れません。
Oさんのお宅の横に少し空間があり、住宅地の真ん中にぽっこりとある癒しスポットのようになっています。(私有地ですので通常中には入れません)
そこには様々な植物が植えられており、まるでどこかの森に迷い込んだよう。
中に入れていただくと「ここ、世田谷区だったっけ?」となります。
そして、種から発芽した半野生の茶の木もあちらこちらで新芽を蓄えています。
Oさんの向かいにあるお宅はOさんが子供の頃は茶畑だったそうです。
失礼ながら年齢をうかがったら82歳とのことですので、およそ80年前くらいはまだ世田谷区にはあちらこちらに茶畑があったとか。
そして、Oさんのお宅の茶垣は戦前から植えられていたままだそうです。
よくぞ今までお元気で…!!!(溢れ出す愛おしさ)
世田谷の茶垣の芽で茶摘み
昨年、今回と同様にYさんにお誘いいただき、件の小学校で蒸し製緑茶作りをご一緒させていただきました。
昨年も新型コロナウイルスの影響で学校の授業は難しく、実行できる日を待ち望んで念のため摘んで蒸した茶を冷凍していたもので、Yさんと共に製茶体験をさせていただきました。
手揉み茶を作ったことはありますが、思えばあの時も非常に水分が多い葉だったように思います。
何度も何度も揉んでは乾燥させて…の繰り返しでした。
今回はありがたいことに新芽のまま少量いただき、家に持ち帰って製茶してみることができました。
そのあとあちこち歩き回ったので少々傷んでしまったかも知れませんが…
釜炒り茶と、出開き芽が多かった分は紅茶に。
日光萎凋してから持ち帰りました。
摘んでいる時も以前からYさんとご一緒していたという方たちが数名いらして、色々な話をしながら茶摘みをしました。
Oさんからも茶垣の話や、今年久方ぶりに鶯がその場所で鳴いたこと、様々な恵みがあるその場所の話を伺いました。
残念ながらごみを放棄していく人がいるというようなネガティブな話もありました…。
これは筆者の茶畑でもよくあります…。
ネーブル、甘夏、金柑、山椒…その季節のものを味わい、生活を楽しむOさんの暮らしがとても素敵に思えます。
本当に都内とは思えないほど自然豊かな場所で、楽しくお茶摘みをさせていただくことが出来ました。
こうして子供たちは毎年茶摘みを行い、筆者と同じように世田谷の自然に触れ、香りを嗅いだりしていたのですね。
感受性豊かな子供時代、茶に触れて何を感じ、どう思ったのか聞いてみたいです。
結び
筆者は学生時代、社会人になってからも世田谷区に通っていましたので今回の場所も懐かしい雰囲気がありました。
道の狭さとか。
そして、当時全くお茶に興味がなかったので、もしその時こういった茶と触れ合う機会があったら…と思います。
それは若ければ若いほど感じることは多く、思い出に残るはずです。
以前、某茶のインストラクターとして小学校で緑茶について教える授業に参加させていただいたことがあります。
冷ました湯で淹れた茶と熱湯で淹れた茶の違いを飲んだ子供たちのキラキラとした顔や「家に帰ったらお母さんに淹れてあげたい」というような前向きなコメントにただただ感動しました。
その時感じたことは子供たちの記憶からはすぐに消えてしまうかも知れません。
それでも、茶を摘む時の音や香り、出来たものを飲むときの喜びなどは心に残ると思うのです。
筆者は兼業茶農家としてまだまだ道半ばにいます。
お茶のことを伝える人間としても全くもって中途半端。
ですが、今の筆者の立ち位置で伝えられる言葉があり、経験があると思っています。
未熟なりに、そして専業の農家では難しいところをサポートできる部分もあると思いつつ模索中です。
世田谷、ということに限らず茶が茶の木の新芽として芽吹き、それをどのように加工して緑茶や紅茶や烏龍茶になるのか知らない子供は多いはずです。
子供だけではありません。
筆者と同世代の大人たちも知らない人、もちろん興味がない人も多くいます。
そういった方たちに少しでも茶の楽しさや面白さをお伝えできるよう、手探りではありますが筆者なりに考えていきたいと思っています。
今後も継続してこちらの活動に参加させていただきたいと思っているのと、世田谷の茶の歴史についても勉強していきたいと思います。
詳しい方、是非お教えいただければ幸いです。
コメント