前回「東京都庭園美術館の「キューガーデン 英国王室が愛した花々」の感想やらあれこれ」を書きましたが、この美術展に行きたかったのには遥か昔の記憶があったからです。
紅茶研究家の磯淵猛先生がご存命の時にうかがった本にそのルーツがあります。
▼参照記事:紅茶界の巨星墜つ-紅茶研究家 磯淵猛氏の訃報-
それが今回ご紹介する「茶の博物誌ー茶樹と喫茶についての考察ー」です。
レビュー下手で有名(?!)な筆者ですが、是非注意して読んでほしいところをご紹介していきたいと思います。
「茶の博物誌ー茶樹と喫茶についての考察ー」とは
「茶の博物誌」の初版はジョン・コークレイ・レットサムというイングランド生まれの医師が1772年に書いたものです。
その27年後に書かれたのがこちらの「茶の博物誌ー茶樹と喫茶についての考察ー」(2版)になります。
1772年というのは本の解説(訳者序文)の中にも書かれていますが、1610年に初めて茶がヨーロッパに渡ってからイギリスで茶が「国民生活の必需品」となりつつある頃です。
貧しい人々までこぞって茶を飲むようになってきた時代。
茶の植物学的特性や製法、(当時の)茶の種類、医学的効果、1772年頃茶がイギリスの人々にどのように見られていたかなども分かるとても貴重な資料となっています。
東京都庭園美術館の「キューガーデン 英国王室が愛した花々」と「茶の博物誌ー茶樹と喫茶についての考察ー」の共通点
先日ブログにもアップしたこちらの展覧会はキューガーデンのボタニカルアートを主に展示していました。
また、「茶の博物誌」の初版が出版された1772年の前年、1771年10月にある公爵の茶樹が初めてヨーロッパで花を咲かせ、その花の絵がこちらの本の表紙となっています。(冒頭表紙写真)
「茶の博物誌」の著書であるレットサムと交流があったジョン・エリスは1768年にキュー植物園に実生苗をプレゼントしています。
1759年にオーガスタ王女がキューの庭園を設立し、のちにジョージ3世に引き継がれていきますが、レットサムはこのジョージ3世とも親しく交流があったようです。
「キューガーデン 英国王室が愛した花々」に展示されていたウェッジウッドの食器もほぼ同時期のもの。
キューガーデンに登用された植物学者のジョセフ・バンクスは世界中から様々な植物を集め、栽培し、それらを記録するために多くの植物画家を雇いボタニカルアートを描かせています。
まさに「茶の博物誌」が書かれた時代と同時代に描かれたボタニカルアートの数々を見てくることができたことになります。
貴重過ぎる…!!!
筆者おすすめポイント
①当時のチャはどんなものだった?
一般的な名称
ボヒー茶(Thea bohea,Bohea Tea)と緑茶(Thea viridis,Green Tea)この植物には一つの種しかない。
緑茶とボヒー茶の違いは、土壌の質、栽培法、葉の乾燥のさせ方である。
また、緑茶の木がボヒー茶の国に植えられるとボヒー茶を産するであろうし、その逆も起こり得る。
チャはこの二種類しかないと言った上で、その分類について細かく記載しています。
■緑茶は3種類
1,ビング、インペリアル、またはブルーム・ティ
2,ハイソン茶
3,シンロ、またはソンロ(松羅)茶
■ボヒー茶は5種類
1,スーティアン、またはスーチョン(小種)茶
2,カムホー、あるいはスムロー茶
3、コン・フー、コンゴーまたはボン・フォー(工夫)茶
4,ペカオ、ペッコー、またはペコー(白毫)茶
5,並のボヒー(武夷)茶
説明がついているものもあるのですが、現在でもどのようなお茶だったのかについては分かりません。
どのようなお茶なのかと妄想するだけで楽しいです。
他にもポンクル茶という円盤状のお茶というのが紹介されていて、頭に浮かんだのはプーアルの餅茶なのですがこの時代からあったのかどうか全く分かりません…。
ポンクル茶ってこういうやつ???
また、金木犀や銀木犀で茶に香りを付けていたという記述もあり、すでに着香茶があったことが分かります。
さらには当時の喫茶法、中国人は茶葉に熱湯を加えて飲む淹茶法、日本人は臼で挽いた抹茶を点てて飲む点茶法ややかんで煮だして飲む淹茶法が描かれています。
▼参照:筆者おススメの本④ー茶道教養講座4 日本茶の歴史ー
②茶の効果や効能
レットサムは医者として貧しい人々にも手を差し伸べて治療を行っていたそうなのですが、空前の茶ブームにより貧しい人々が食事を食べる代わりに茶に砂糖とミルクを入れて飲むことで病気(栄養失調?)になることもあると述べています。
これは酒の代わりに茶を飲むようになってイギリスの産業革命が進んだという話にも関連ありますね。
また、茶に対して極端に好き嫌いを持つわけでもなく、淡々と様々な実験をしています。
1,茶液に肉をつけて腐るかどうか
真水と緑茶とボヒー茶にそれぞれ生肉を漬けたところ、真水につけたものは48時間で腐ってしまったが、茶の二種類はどちらも70時間まで腐らなかったという実験
2,動物実験
カエルの腹腔と腹膜に茶を注入、別の時には切開して坐骨神経や腹腔に注入も…。
このカエルの実験により茶の鎮静作用と弛緩作用は主に茶の芳香性成分からできているのだと結論づけています。
ちょっと残酷なような気もしますが発想がさすが医者…。
レットサムはすでに茶に鎮静作用と弛緩作用があることを認識しており、こうした動物実験や他のハーブとの比較などを行っています。
というのも当時はまだまだ茶について詳しく知られていないため、大量に飲んで具合が悪くなった、緑茶が緑なのはなにか毒のようなものが含まれているのではないかというような害悪説も多くありました。
レットサムは医者として患者の様子を観察し、茶にはこのような効果があるのではないか、こういった成分によってこのような症状があらわれているのではないかと考察しています。
当時の人々の恐れや不安も垣間見ることができますし、それに対して医者であるレットサムが冷静に判断や分析している様がとても興味深いです。
すでにカフェインやテアニンの効能についてある程度理解しているのもすごいなぁと思います。
結び
筆者は以前磯淵先生からお話を伺った時に購入をしてすぐに興奮して読んだのですが、それ以来書棚の中に…。(よくあるパターン)
東京都庭園美術館でのボタニカルアート展示を見ているうちに、ふとこちらの本を思い出して読み返しました。
最初に読んだ時に当時のイギリスの人々がどれほどチャに興味を抱き研究していたのかがよくわかって興奮したこと、その頃筆者は茶畑のない土地で店を開き、紅茶について学んでいる中でこの本を読み、同じように茶のないところに住む当時のイギリス人たちの気持ちとシンクロし、何度も夢に見たことを思い出します。
(略)しかし、正直なところ、あのさわやかでゆったりさせ、鎮静作用もある茶の特性、それは人類全体にとって非常に元気回復効果のあるものなのだが…(略)
(略)茶というものに悪い性質が一切なければよいのに、と私はよく考えたものだ。何百万というわが同胞が、同じ時間に同じ愉快な茶のある食事をどんなにか楽しんでいることだろうと思い、茶が提供してくれる好ましい会話の機会のあることや、あるいは茶が毎日呼び集め、酒類の助けを借りずに皆を楽しませているあの男女一緒の無邪気なパーティのことなどを、私はよく思い浮かべた。そんなとき胸に込み上げてくる喜びの気持ちは、いつもこの社交的な人間の胸に、茶に対する感謝の念を起こさせるものだった。(略)
淡々とチャについて考察をしているものの、茶を飲むことが好きで、割と擁護派であったことがうかがえます。
茶愛が溢れていませんか???←強要
1770年代から約250年。
科学によってチャの多くが分かるようになった今も変わらずに人々は茶に魅了され、愛し続けています。
とても面白い本ですので是非お手に取ってみてください。
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